
物語は、高校3年生の頃から
始まります。
クラスのみんなが進学なり
就職なり決めている中、
「特に勉強したい事ないしな」
「なんもやりたい事もないな」
そんな自分軸のない
生き方をし続け
とりあえず親の意向に沿って
公務員を目指す。
本音は
「公務員なんて
ちっともなりたくない」
と分かっていても
他の道が分からず
嫌々勉強をする毎日。
案の定試験は全落ち。
とりあえず受けて内定を貰った
会社にとりあえず入社。
それから7年後、
ストレスに晒され続けた結果
うつ病に。
休職に追いやられ
命をただ溶かす毎日。
そんな中、
以前から取り組んでいた
自己理解が
人生に一条の光を差す。
そこから、
自己受容の気持ちが育まれ
自分の生きる上でのテーマを
明確に見つけられた。
テーマに沿って生きることで
遂には自己犠牲を
脱することが出来た。
「自分だけのオリジンな人生」を
手に入れるストーリー

こんばんは!
りょうです。
今日は僕の体験談を
お話します。
人に尽くしすぎてしまう
”いい子”として育ち、
自分の気持ちも分からず
身も心もすり減らしながら働き
自己犠牲を続ける。
気づいた時には
うつ病に。
挙げ句の果てには
仕事に戻れなくなり退職。

生きていく方向を見失った
人生のどん底にいたところから
自分の心と向き合って
自分を否定することも
我慢することもなくなり
新しいチャレンジにも
意欲的にできるようになって
毎日が楽しくなりました!
自分自身を知ることで
人生が180度変わった過程を
包み隠さずお伝えします。

この記事に書かれていることは
僕の過去であり
紛れもない事実です。
途中で目を背けたくなる
ところもあるかもしれません。
正直、ここまで
全てを話すことは
とても勇気が必要でした。
でも、僕は
その地獄のような過去を
乗りこえて今ここにいます。
そして、
あなたにも僕の過去を
知っていただきたいと
思っています。
あなたが一歩でも
前に進む勇気の糧になってほしい。
あなたには僕のような
辛くて苦しい気持ちに
なってほしくないんです。
自分の思い描いた
「最高の人生」を手に入れることを
絶対に諦めないでください。

これからお話するのは
自己犠牲で身も心もボロボロになり
生きる意味を見失った
当時27歳の僕が
たった一つのきっかけで
人生が180度変わったお話。

僕は、自分で言うのも変ですが
かなり真面目で
周りの人を思いやれる人でした。
中学時代は不登校になった
友達のために何度も学校に誘い、
最後には笑顔で卒業式にも出席して
もらえるまで声をかけ続けました。
そしてその善行に対し、
学校長から
「あなたは他の生徒の模範である」
と表彰されるに至り、
高校には推薦で入学するような
周りの大人が
安心して見ていられる
典型的な”いい子”でした。
そんな僕は、高校3年生で進路を
決めなくてはならない時、
大きな壁に阻まれました。
「やりたいことが、分からない」

クラスのみんなが進学なり就職なり
きちんと進路を決めている中、
僕は何も決められずにいました。
幼少期から周りの大人が称賛して
くれる事は何なのかを感じ取り、
そこが行動の基準だったからです。
簡単に言うと、自分が何をしたいのかが
分からないまま生きてきてしまったんですね。
結局僕は就職する覚悟も決められず、
大学へ進学する程勉強もできる方では
なかったため、
半ば就職の時期をずらすような方向性で
県内の専門学校へ行くことにしました。

そこに決めたのも両親から
「お前は公務員向きだ」
と言われたからで、
自分の意志はありませんでした。
そんな姿勢で勉強しても
当然のことながら合格できる筈も無く、
約2年間学校へ通っても
公務員試験は全落ちでした。
そんな僕に残された選択肢はひとつです。
「とりあえずどこでもいいから就職する」
この期に及んでもまだ
自分の意思が無いんです。
無い、と言うより
分からなかったんですよね。
そして、年の瀬に滑り込みで内定を獲得し、
県内の中小企業に就職しました。

「言われた事をやるだけ」
ある意味、会社に入ってからは
割と順応していて疲弊しながらも1人で
現場を任される程度の信頼を得るに至りました。
しかし、とあるトラブルが
僕をうつ病へと突き落としました。

上司が連休で不在の中、
僕は1人で現場を見ていました。
時刻は午後20時。
上司がいない穴を埋めるために
いつもより2時間早く出社してから早8時間。
この間休憩は一切取っていません。
当然この後も全ての仕事が片付くまで
手を止める事はできない。
時間経過とともに溜まっていくタスク。
そんな誰の手も借りられない状況の中、
起きたのが機械トラブルです。

いつも通りの操作をしても正常に作動しないため
上長に報告を入れ、指示を仰ぎました。
機械メーカーの担当者に相談しろと
指示を受けたため、言われた通りにしました。
ところが、
話が専門的過ぎて僕には
対応できない範疇でした。
とはいえ、放置はできません。

僕は工場に常駐しているメカニックの
担当者に電話し、その内容を伝え
対処の仕方を聞きました。
その時に言われた言葉を
今まで一度も忘れた事はありません。
「そんな事も分かんないで
勤めてる事の方が問題だと思うけど?」

一瞬なにを言われたのか
理解できませんでした。
頭が真っ白になるくらいに
衝撃的な言葉でした。
「この人は一体なにを言っているんだ?」
放心状態のまま、
もはや助言なのかも分からず
遠くでただ不快な音として
聞こえていました。
それを聞き終え、電話を切る。

徐々に現実感を取り戻し
感じたのは激しい怒りと悔しさ、
自分に対する情けなさでした。
その通りだとは思いました。
でも、僕だって何とも思ってない
訳じゃなかったんです。
事実、元々はその機械だって
最初はまともに扱えませんでした。
イレギュラーの対応がまるで出来ず、
「このままじゃだめだ」と
思って教えてもらい、
必死で役に立とうと努力しました。

それで一定の事は対応できる
ようになって、遅番として一人で現場を
任せても良いと判断してもらえたんです。
それでも、誰にだって
対応しきれないことって
あると思うんです。
だからこそ、人の手を借りたいし、
今回だって助けを求めたんです。
それなのに、心無い言葉を
突き付けられなくちゃいけないのは
納得できませんでした。

僕は、自分なりに責任を持って
それまでもやって来ていました。
その日だって例外じゃない。
社員としてきちんと事実の提示をして
状況を打開しようとしたんです。
しかし、その想いを
受け止めてくれる人は
その場にはいませんでした。

なぜなら、気づけば
時刻は午後22時過ぎ。
薄暗い工場に
僕は1人きりだったから。
理不尽にまくし立てられている
間に溜まった膨大なタスクを、
複雑な感情が交錯した涙を
流しながら1人で全て片付けました。
家に着いたのは翌朝5時でした。

それから2日間、
僕は感情が抜け落ちたような状態で
追い打ちをかけるかのように
他部署のミスも重なり
余計なタスクが増え続け、
そこで完全に糸が切れました。
「こんなに死ぬほど働いているのに
どうして状況は悪くなるばかりなんだ」
もう、限界でした。

翌朝起きると立っていられない程の
激しい眩暈に襲われ、その日は欠勤。
その翌日には更に動悸と腹痛、
他にも色々な体の不調に襲われ、
「もう働けない体になってしまったんだ」
と悟ってなんとか心療内科に
診てもらった結果は
「大うつ病」でした。

うつ病により
毎日ほぼ寝たきりになってしばらくは
何かをしようという気にはなれませんでした。
しかし、ある時思ったんです。
「こんな生活は嫌だ」と。
そう思っていた矢先に出会ったのは
とある「コーチングサービス」と
「ストレングスファインダー」というテスト。
ストレングスファインダーを受けた結果、
自覚していなかった「自分の行動の傾向」や
「特にどんな才能が強く備わっているのか」
が見つかりました。

それを踏まえ、
うつ病になるトリガー
になった
「例のトラブル」を基に
担当コーチから的確な
フィードバックを貰いました。
・指摘されてその通りだと思う悔しい自分がいる
→責任感(1人の力で解決するべき)
×最上志向(何でも突き詰めたい)
の短所パターン
・でも仕事に対して自分なりに
真面目に向き合ってここに居る
→責任感(役に立とうと努力)
×信念(助け合いは当たり前)
×アレンジ(仕事の工夫)
×戦略性(どうやって成長するか)
が掛け合わさった超長所パターン
このフィードバックを受け、今まで
「自分には何も無いし何も出来ない」
と思っていましたが、
意外と頑張れていた事に
気づいたんですよね。
更に、その僕のアウトプットに対してコーチから
「改めて振り返ってみると
今まで意識していなかっただけで
自然とやっている行動がたくさん見えてくる。
この自然の行動が自分らしさ
という感覚をぜひ大事にしてあげてください」
と教えていただきました。

僕は生き方を考える
ようになりました。
それから自己理解にハマった僕は
徹底的に自己理解を深めました。
何がやりたいのか、
どんな事が得意で
どんな事に価値を感じるのか。
それらを明確にする過程で
自分を受け容れられるようになり、
自分だけの夢を見つけ、
「生きる上でのテーマ」を明確にできたんです。
それが明確になってから、
頭の中のモヤモヤが晴れて
明らかに生きやすくなりました。

「もっと自由に、
もっと自己表現をして
自分の心に従った
自分だけのオリジンな
生き方がしたい」
そのテーマに沿って
日々の生活を送る事で、
これまで自分の中で
繰り返していた「自己否定」を
しなくなり少しずつ、
「自己受容」できるように
なっていきました。

更に、その自己受容の気持ちが
育まれていく中で
うつが軽くなる体感さえ覚えました。
そして今では、ほぼ寛解して
以前と変わらず笑えるようになりました。
僕がこの記事を
書いている理由は
過去の僕と同じように
苦しさを押し殺して
人に優しくしてきた人。
全力で走り続けて、
痛くて心の中で泣いている人。
そんな人を1人でも多く救いたい。

そして
オリジナルの自分を取り戻し
「あなただけのオリジナルの人生」
を生きてほしい。
そう心から思っているからです。
だからと言って、僕の考えが
絶対というわけではありません。
色々な考えの方が
世の中にはいます。
その考えを否定することも
ありません。
ただ、
これだけは言わせてください。
あなたの人生は
あなたが決めるのです。

いつか必ず命を全うする日が来ます。
あなたがどう生きるかは
好きにしていい。
人生というゲームを、誰かが
代わりにやってくれるわけでも
ありません。
僕は最期を迎える時、
「自分の心に正直に生きて、
そんな自分を好きになってくれる人に囲まれて、
全力で毎日を過ごせて、
本当に最高な人生だった!!」
そう思って人生を
締めくくりたいです。
あなたは、その命を
どう使い切りたいですか?

この記事をここまで
読んでくれているあなたは
自己犠牲で身も心もボロボロに
なって苦しむのではなく、
「ただ自分らしく生きたい。」
そう思っているはず。
それなら、
やることはただ1つだけ。
諦めずに進み続けましょう。

大丈夫です。
この記事をここまで
読んでくれている
強い意思のあるあなたなら
他者の言動に振り回されず
自分の心と向き合って
自己犠牲せず生きられる
素質を持っています。
今の自分ができることを
精一杯やっていきましょう。
小さな一歩が積み重なって
大きな一歩になります。
その小さな一歩を踏み出して
”正しい自己理解”
を学べば
あなたはもう
「最高の人生」に向かって
走り出していくだけです。

平坦な道ではないですが、
隣に僕がいます。
一緒に走っていきましょう。

次はあなたの番です。
ここまでこの記事を読んでくださった
あなたにしかできない
「あなたオリジナルの人生」
を生きられるチャンスがあります。
「分かったつもり」
「やった気になって満足」
はもう、卒業しましょう。
そのためには、
主体的に学び、動く必要があります。
そんなあなたの志に応える
特別なプロジェクトの詳細を
明日の配信にて
大発表する予定です!

今回も最後に
簡単なワークにお答えください。
実際に行動できる人は
たったの2割です。
本日のワーク
===========
Q.あなたが人生で1番
大切だと思うことは?
===========
例) 感謝の心
☟こちらからお答えください。

※10秒で終わります。
回答は僕にしか
表示されませんので
ご安心してください。
いつもお伝えしていることですが、
ここで小さな行動を起こせるか否かが
今後のあなたの未来を変えていきます。
記事を読んだことは素晴らしいです。
しかし、
それで満足してしまったら
これまでと同じ
しんどい毎日を繰り返しながら
受動的な人生を
送る羽目になるでしょう。
そんな事にはならない為にも
ワークの回答を行ってください!
約束ですよ!
そして明日の配信では
あなたが感じているモヤモヤを
根本解決しようと頑張る事が、
どんなに充実した人生を
もたらすのか。
あなたの現状と未来に
向き合う時間に
したいと思います。
今日も最後まで読んでいただき
ありがとうございました!
また明日の20時にお会いできるのを
楽しみにしております。
りょう